アパレルをはじめとする大手・中堅企業の「ビジネスのプロ」とクリエイション企業である「ものづくりのプロ」が出会うことで新たなビジネスモデルを創出しませんか?
私たちは日本のアパレル産業発展のため、「JAFIC PLATFORM」を運営しています。
現在のクリエイター登録数44件
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デザイナー 李淑娟
2017.03.29
Creator
―デザイナーを志したきっかけは何でしたか。
普通みなさんファッションが好きでデザイナーになられるじゃないですか。私の場合全然違いました。
家系がビジネスマン、学者系というか、すごくストイックな家で。
でも私はアートが好きでずっとやりたかったんですけれど、両親にそれじゃ自立できないからやめてくれ、多方面方で考えてくれと。
それで落ち込んでいた時に、父にビジネスとアートの間を取れないかと言われて、それで高校卒業後、芸大に行き、デザインの中のファッションという領域に進みました。
でもその当時ファッションはあまり好きではなかったです(笑)
キラキラした人に興味がなくて。ただ小さい時からパリコレ等の総合的は芸術性や、ランウェイがすごく好きでした。
これだったら仕事として割り切ってやれるかなと。それが最初のきっかけです。
ーブランドコンセプトはどのようなところから生まれたのでしょうか。
クリエイティビティに特化した世界最強な集団を作りたいです。
そのような組織をつくりたい。組織=会社になりますが、大きくなくてもモノづくりに貢献出来る組織にしたいと思っています。
理由は、日本の文化含めアジアの文化は着物など、素晴らしい色彩感覚があり、モノづくりの技術があります。
アジア人ってヨーロッパのトレンドは受け入れますが、自分たちのアジア本来のテキスタイルとか文化は現代ではオシャレではないと感じています。
それがアートに興味を持った10代の頃から感じはじめました。
そして、「なんでだろう」と社会に対して疑問があり、海外生活していた時より明確に思うようになりました。
そういった自分たちのいいものを勝負できないのは面白くないなと。
だから、自分がブランドをつくる時は大好きな文化、中東からアジア全般のコンセプトでにしようと。素敵なモノづくりをアジアから発信し世界に広がるブランドにしたいと思いました。
また、ヨーロッパやアメリカに行きよく思うことは、デザイナーやモノを生み出せる人って欧米ではすごく評価されるんですよ。
私も「君はこんなことできるんだね、すごいね。」って言われて。それだけで評価されるんです。
でもアジアって、一番発展していると言われる日本でもクリエイターの評価がすごく低い。私も日本企業で働いていましたが、営業の方とかお金を動かす方が強くて。もちろんそれは大切な事ですけれど、同等になったらいいなと思います。
また、クリエイティビティに対しての感謝の気持ちが欧米に比べてすごく低いと感じます。それが嫌だなと。それが理由で、自分がブランドをつくるときは、アジア最小で最強なクリエイティブ集団をつくりたいと思いました。
今はまだ1人でやっていますが、クリエイティブを特化したビジネスモデルを作り世界に持っていけるようになればいいなと。
モノづくりに対しての社会的な疑問からEnlee.のブランドコンセプトが出来上がったかもしれません。
ー活動の拠点はなぜ東京にしたのでしょうか。
そうですね、NYや上海にも仕事で住みましたが、まずは日本で育ったという事と、アジアでは日本は世界のショールームだと言われています。
ヨーロッパから人からのバイヤーも多く、一番いい環境だなと。また、モノづくりの環境が整っていて、一番いい拠点環境だと。
でもビジネスは国内だけでは考えていなくて、中国やアメリカ、ヨーロッパの方でビジネスをしたいなと思っています。
ーNYでデザイナーを経験されて、どういったことを学びましたか。
主にNYではファッションビジネスやデザインを学びました。
私の目的はビジネスのやり方、一年間できゅっと学んで、賞をとれたら、と。日本とアメリカでも学生時に賞をとりましたが、何よりも家がすごくストイックで、ファッションに対しても否定的だったので、両親にちゃんと結果を出すのが目的でした。
とても大変でしたけど、ずっとモノを作っていて、すごく楽しかったです。
そして痛感した事は、海外でクリエイターとしてどう乗り切るかといったらやはり言葉などではなく、作品。周りよりより良いものを見せて驚かそうと思い製作にずっと打ち込んでいました。
ーEn Leeさんがモノづくりにおいて大切にしている点は何でしょうか。
絶対に感謝をするということです。
何故かっていうと、日本企業で働かせて頂いた時、数字によって「売れる商品を作る」っていう事が好きではなかったからです。生地屋さんやパタンナーの方、生産管理の方、あらゆる人達がやり取りの中でピリピリとコスト詰めて笑顔がない、そういう状況を沢山見てきました。
それっておかしいな、と。せっかく素敵なモノをつくったら、「有難う、ここはこうしたいです。」とか、そういうことって大切だなと思います。
愛情がある料理を食べた方って人への思いやりが育つと思いますし、人にもそうできると思うんですよ。そうやって幸せのスパイラルが回って心を届けて、優しい気持ちを人にバトンタッチできて、素敵な環境ができると思っていて。
「これ良かったです、ありがとう、」と言われたらもっといいものをつくろうって思えますし。人と同じで、愛情があればモノももっといいものができると思います。
なので、私は工場の方とのやり取りで、「こうしたい、」うまく出来たら「良かったです。有難うございます、」と、きちんと伝えます。
そうすると相手の方に「もっとがんばります、研究します。」って言ってもらえて。よりいいものができると感じています。それが一番大切だと思っています。
ーファッションデザインの他、テキスタイルデザイン、イラストレーション、CGデザインと幅広くクリエイティブ活動をされていますが、仕事をする上での苦労する点はありますか。
私は小さい頃から絵は良く描けた方で、海外に行っても周りから評価して頂いたと思います。
しかし日本に帰ってきて、自分でも凄く良いと思うポートフォリオを作り企業の面接に持って行きましたが、うますぎる、と。なんでここに来たのと。
いいものを出すのが一番なんじゃないのかなと思っていたので、それがすごくショックでした。
それでまた他の所に行った時も同じことを言われて。その理由がよくわからなくて。うまいに越したことはないはずなのになんでだろうと。今考えれば、其の企業デザイナーには尖ったクリエイティビティを求められていなかったとわかりましたが、当時は凄くショックでした。
ークリエイターの立場としてJPFについてどう思いますか。
正直に言いますね。紹介で参加したのですが、目的が何かわからなかったというのがあります。
良かったことは、機屋さんを紹介して頂いたりとか、いろんな方と知り合うことができたり、イベントがあったりモノづくりの上でとてもお世話になっています。
しかし、マッチングという点はあまり認識がなくて、あるんだというくらいになっています。
ーEn Leeさんの今後の目標を教えて下さい。
近々の目標は、1年後までに何らかの形でコレクションに出すことです。
あとは、生地から仕込み、染めてプリントまで限られた予算で現在一人と外部の仲間メンバーで回していますが、それを持続してドメスティックなものは絶対つくらない。唯一無二のものづくり。
皆が着ないかもしれないけれど、これまでに無いストーリーやデザイン。見て幸せになる色を使い個性があるものをつくって感動を届けたいなと思っています。
Enlee.にしか無い素材、色、デザインを作っていきたい。万人受けはしなくていいので、そういうコアなファンが世界各国に少しずつ増えていけば良いと思ってます。
李さんの様々な経験を通した、クリエイターとしての熱い思いが非常に伝わってくるインタビューでした。
また、社会について冷静に分析したり、あらゆる物事に対してのなぜだろうという意識、それに対するご自身の考えをしっかりと持っていて、かつそれをご自身の活動の軸として持っている点に尊敬しました。
お忙しい中、とても明るく気さくに我々学生を受け入れてくださり、ありがとうございました。
Interviewer: Nagami Hinako