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大野 陽平
2017.03.20
Creator
–デザイナーとしての大野さんに質問です。デザイナーを志したきっかけは何でしたか?
最初は愛知の進学校から早稲田大学に入って、その頃はものづくりには興味がなく、哲学を勉強しようと思って当時の第一文学部に1年通いました。
大学時代はファッションが好きで、服を着るのも楽しんでいたので、その当時は趣味くらいでいいかなと思っていたんですけど、好きだからどうせなら服を作ってみたいと思って、大学を中退して文化服装学院に入学しました。
親には最初反対されたんですけど、自分がやりたいことがあるならって。
父親も本当は芸術をやりたかったのに、親の強い反対にあって安定した収入のある教員になるしかなかったので、僕には好きなことをさせてあげたいという考えの基でした。
父親は芸大には行かせてもらえず教育学部の美術という道を選び、美術の教師をしていましたが、今はもう定年してもともと趣味でやっていた生花に本腰を入れています。
あとは祖父が生前和菓子の職人をしていたりと、僕が突然もの作りをしたいと思い始めたのも、何かそういった血が流れているのかと親は言っています。
–四年制大学から服飾専門学校へ進路を変えたきっかけは何でしたか?
四年制大学から専門学校に入り直したきっかけは、20歳を過ぎた時に急に活字に興味がなくなり、同時にもの作りがしたい衝動に駆られて。
若気の至りなのか、全然活字が頭に入ってこなくなって(笑)。
文化服装学院では服装科に入りました。
3年間基礎を学んで、その後に文化ファッション大学院大学に2年通いました。
そこで転機があって、神戸のコンテストに選ばれて1年間イギリスのノッティンガム芸術大学で勉強することができたので、留学をしました。
帰ってきて、一旦は就職をしかけたんですけど、自分の服作りを早く世に発表したいという思いが強まり、2014年末にブランドを始めたという流れです。
–イギリスでの生活の様子と、日本に帰ってきたきっかけは何でしたか?
ノッティンガム芸術大学の最終学年に編入し、ロンドンで幾つかの学校と合同で卒業制作ショーをする権利もありました。
ノッティンガムはロンドンから北に離れたところにあるので、ロンドンのブランドで働くというチャンスもなければ、ビザも厳しくなって、卒業してから1〜2ヶ月しか滞在する期間がなかったので、ほとんど何のチャンスもないまま日本に帰ってきました。
日本に帰ってきて、立ち上げというほどちゃんと準備もしないまま、ブランドを始めました。
学生時代からボンディングやレーザーカッターを駆使した服作りを研究していたので、それをうまくプロダクトに落とし込むことでブランドビジネスにつながっていくのではないかと思ったのと、それができる環境がたまたま自分の周りにあったことが大きかったです。
–仕事をする上で、クリエーションをする上でのやりがい、モチベーション、楽しみ、こだわりは何ですか?
もともと素材の質感に興味がありました。
僕はテキスタイルの知識は正直あまりないんですけど、布地というよりはもっと広い範囲の色んな素材、建築に使われる資材とか。素材にとらわれずに、人が袖を通すことができて、かつ物体そのものとしても美しい何かを作りたいといつからか思うようになりました。
「ラグジュアリー」に対して思うこともあって、単純に高級で繊細な素材を使って高度に仕立てるというのが今のラグジュアリーのあり方なのか、という疑問がありました。
僕としてはもっと違ったラグジュアリーのアプローチの方法があるんじゃないかと思います。
例えば少し前の、ニコラ・ゲスキエールのバレンシアガとかって、着にくそうなボンディング素材を使用していたり、「メタルレギンス」と呼ばれる甲冑みたいなタイツを作っていたり、それらはあくまでショーピースかもしれませんが、それまでパリコレのラグジュアリーブランドに対して勝手に抱いていた優美で女性らしいイメージを覆すような、全く新しいものに出会ったような衝撃を受けました。
だから僕も、そういう違った角度からのラグジュアリーへのアプローチをいずれはしたいなと思いました。
仕事をする上のやりがいやモチベーションは、単純にものづくりをしたいという気持ちだけです。
僕は今でもファッションデザイナーという肩書きは少し恥ずかしいしあまりしっくりこなくて、ただの「ものづくりの人間」だと思っています。
ただ何か新しいものを作ってそれを女性に着て欲しい、くらいの気持ちでやっています。
–今後、どのようなブランドにしていきたいですか?
今シーズンと前回の16SSシーズンは正直なところ方向性にブレが生じていましたが、こうして考え直してみると「ラグジュアリー」というのが本来自分の目指している方向です。
僕自身学生時代から勉強のために色々なラグジュアリーブランドの服は手に取ってみましたが、例えば僕の大好きだったニコラ・ゲスキエールのバレンシアガの服って、人が着ているのも美しいけれど、手に取った時の、もの自体から放たれているエネルギーがすごかった。
自分もそのような、物体としてパワーのある服を作りたいと思っています。
だから自然とラグジュアリーという思考になるんだと思います。
素材的にボンディングだったりハリのある素材を使うと、スポーティー・カジュアルなイメージになりがちだとは思うんですけど、例えばラグジュアリーセレクトショップのリステアさんで取り扱っていただけたことなどは、すごく僕にとって自信になりました。
高級な素材を使ったからといって全然安っぽく見える場合もありますし、僕は安いか高いかという問題ではないと思います。「高級感」と「高いもの」は全然違うと思いますし、「安っぽいもの」と「安いもの」も別だと思うし。
素材は使いようで、「創意工夫」という魔法をそこにかけられるかだと思います。
高価な素材ではなくても人が着た時に高揚感を得られたり、何か特別な気持ちになればそれは「ラグジュアリー」と言えるものだと僕は思っています。
–大量生産・大量消費の大売りではないけれど、商売として少量生産でこだわったものを「好き」という人に対して作っていくことの可能性は感じていますか?
僕は、日本人の多くの方々が勘違いしているのは「アパレル」と「ファッション」は全然違うという事だと思っています。
日本って、洋服も洋服屋もいっぱいあって、「アパレル」での規模では他のアジアに比べたらマーケット的には大きいけど、「ファッション」と呼べるものがその中にあるかどうかっていうと、実際にはほとんど無いと思っていて。
例えば世界のファッションで見た時に、いま何が起こっているかというのを日本のアパレルの人たちが理解しているのかというと、あんまり僕は理解しているとは思えない。遅れて噛み砕かれた情報だけを「トレンド」として享受しているだけで。
ただ単に、向こうから遅れて流れてきたものをなんとなくやっているだけだと中身がない。
ファッションに対していかに純度を保てるか、つまりは世の中のファッションで何が起こっているのか、ということをちゃんと把握した上で、自分なりの方法でいかに新鮮で魅力的な提案を打ち出すか、自分自身の声を発するかというのが本来ファッションデザイナーのすべきことだし、洋服も洋服屋もすっかり飽和している今、改めてその力が要求されていると思います。
日本は一見マーケット的に恵まれているので、自分で作ったものを自分の国で売るというのが当たり前になっています。僕も同じように最初の2シーズンは東京だけで展示会を行いましたが、今シーズン初めて、ショールームを通してパリでの展示会に参加しました。同じショールームには中国やタイなどのアジアの若いデザイナーが多くいましたが、そういった今まではファッションとしてはほとんど認知されていない国のデザイナーのエネルギーやハングリーさを肌に感じました。
彼らは積極的にロンドンやニューヨークの学校でファッションを学びセンスも良くて、かつ生産は自国で安くできるという大きなアドバンテージを持っています。でも日本みたいに自分の国では売れないから、パリやロンドン、ニューヨークで服を発表せざるを得ないんです。もちろんそういったことができるのは桁違いに富裕層の家庭のデザイナーだったりしますが、学ぶべきは彼らの、国境を越えた場所で戦おうとする姿勢やそこで生き残るためのハングリーさだと思います。
日本人はこれまで日本だけで完結できてしまう豊かな環境があったせいか、いつの間にか戦う相手をどんどん小さくしてしまってきたように感じます。だからなんとなく日本のアパレル界で収まってしまう。少しですが海外での経験を通して感じました。
ノッティンガムの大学で貰った最初の資料の頭のページに「今ファッションで何が起こっているのかを知ろう」ということが書いてあるんです。
ノッティンガムって結構田舎で、そこに通っている人達って実は全然お洒落じゃないんですよ。
だいたいの子が田舎のギャルみたいな格好してるし(笑)。
でも、「ファッションといえばこういうものだ」っていうアカデミックな捉え方を彼らはちゃんとしていて、論文なんかも書きますし、「本場パリではこういう事が起きていて、こういう流れになっていて」ということをきちんと勉強しようとしている。
僕はどっちの学校も行ったので、日本の学生は技術は学んでるけどファッションと呼べるものは学んでいないというのがよく分かりました。
また、ファッションメディアを見ていても、「僕ぐらいの新人ブランドでもこんなに沢山あるんだ」と毎シーズンつくづく思いますが、正直僕にはどのブランドも同じように見えるし違いが分かりづらい。元々失敗してリスクを負うほどの規模でないブランドがほとんどだと思うんですけど、「売れなくてもいいから今一番新鮮でイケてることやってやろう!」みたいなデザイナーの気持ちが伝わってくるようなブランドがもう少しあってもいいかなとは思います。
–JPFに求めるものはありますか?
僕はもうちょっと批判や競争があっても良いと思うんです、JPFというよりは東京のファッション自体に。
例えばデザイナーが発表するコレクションに対しても、もっと主観的にその良し悪しについて言及する人や場所が増えてもいいと思うし。僕自身は学生時代からコレクションをやっているので、当時から僕のコレクションを見てきた周りの友人たちは毎シーズン良くも悪くも正直な感想を言ってくれます。傷つくことのほうが多かったりしますが(笑)。お客さまである女性の「着る」という目線、バイヤーさんの「売る」という目線での意見ももちろん大事なのですが、純粋にクリエーションというか、コレクションとしてどうかという彼らの批判も自分にとっては欠かせないものですし、そういった仲間達が今周りにいることに感謝しています。
話を戻すと、先の「日本にファッションを学ぶ場がない」みたいなことと似ているんですが、東京で発表される1つ1つのコレクションに対して、「着る」「売る」目線以外の具体的な評価の基準がほとんどないのだとしたら、デザイナーが作るものも「着れそうで売れそう」に傾倒していくのは当然ですよね。
もちろん売れる、つまりは人に着てもらうことがデザイナーの目標ではありますが、明らかに売ることを目的にした服よりも、「なんだかよく分からないけどかわいいし見たことない」ようなものに心惹かれて着てみたくなったりするのがファッションじゃないかと思います。そういうものが結果売れることは大いにあると思いますし。
だから案外、直接売ることに影響するソリッドな意見と共に、純粋に「かわいいかかわいくないか」「お洒落かださいか」「新鮮かなんか見たことあるか」みたいなぼんやりとした意見や議論の1つ1つってすごく重要だと思うんです。ファッションデザイナー、少なくとも僕にとってはですが、「自分の服ってお洒落なのかな?ださいのかな?あの人はどう思ってるのかな?」みたいに自分の客観的な評価や立ち位置が分からないままブランドを続けることほど怖いものはありませんから。傷つく覚悟でいつも周りに批判を求めています。それを素直に聞き入れないことをよく面倒くさがられますが(笑)。
もう一つは競争の部分ですが、例えば僕が卒業した日本の服飾専門学校は「皆で課題を一生懸命頑張って、一緒に卒業しましょう」っていう感じでした。僕の留学先のノッティンガムの大学もまあそんな感じだったんですけど、他のヨーロッパの学校では違うみたいで、才能のある学生は学校からもプッシュされてその年のスター卒業生としてメディアでも取り上げられるけど、そうでないと判断された学生は何もないまま卒業していくという話を聞きます。
団体の思考がある日本だと不平等ととらえられるかもしれませんが、そうやって評価を下されることで自分を知るきっかけにもなるし、先に言った「自分の客観的な評価が分からない」「なんで売れないのか全然分からない」といったことに陥りにくくなると思います。そういった競争の中で磨かれるものは大きいですし、何よりモチベーションにもなると思います。
それは学校に限らず若手ブランドの中でもそのような競争があるべきなのではと思ったりします。東京にも毎年一定数のデザイナーを選んで支援する、みたいな仕組みもあるのは知っていますが、みんなが競い合ってそれに応募するほど大きな支援では現状ないと思いますし、支援する力もあってファッションの分野に理解のある日本の大企業というのもほとんど聞いたことがありません。そういった何か具体的な支援やそれを得るための競争は必要だと思います。それに期待して甘えていてもだめなんですが。
でもどこかの支援もなしに僕みたいな若いブランドが他の大きなアパレル企業と同じ土俵で同じように勝負をしてまず勝てるわけがないし、「それだけじゃ食っていけないよ」みたいな思考が上から降りてくるっていうのもありますけど、純粋に新しくて魅力的なことに若いブランドこそが挑んでいかないと、ファッションそのものが衰退してしまうと感じます。
–アパレル・ファッション業界において、注目している学生の活動はありますか?
学生の活動ではありませんが、今、現役の若いファッションデザイナーさんが先生を務める学校が増えてきたと聞いています。学生はただパターンや縫製など技術を教わるのではなく、「洋服はプロダクトである」という考え方を、プロダクトとして洋服を作って売っているデザイナーから学ぶことに意味があると考えています。
日本の学生の多くは何か大きなコンテストを目標にしていて、一つの作品にいかに手間暇をかけるか、みたいな努力をする傾向があるんですけど、結局デザイナーになって求められることって、プロダクトの力だと思うんです。
プロダクトの定義って簡単に言えば「同じものを他の人が作れる」ということなんですけど、時間をかけて手を加えた分だけ同じものを作りづらいじゃないですか。つまりそれはプロダクトとしてはデメリットになりますよね。
だから結局自分のデザインに引き算をしていくっていう方向になるんですけど、引き算をしすぎてただの真っさらなTシャツになっちゃったら、今度は他との違いも出せなくなる。それも魅力的なプロダクトとは言えません。
時間や手間暇をかけると二つとないものはできるけど、それをプロダクトにしていくのが難しい。でも逆に全然手間暇かけなくたって良いものはいっぱいあるし、服を買う時って、色がかわいいとか、意外と簡単なことで買っちゃったりするじゃないですか。「これが売れるの?」みたいな時もあるし、デザイナーは少なからずそういう葛藤と向き合っていると思います。
でも例えば僕のいた服飾学校だとそういうプロダクトの教え方はしなくて、とにかく手を動かさせてコンテストで評価されるような渾身の作品を作るのを良しとしているのが、僕は問題だと思います。
学生がデザイナーを志しているのであれば、プロダクトとして魅力的な商品を作るための訓練が必要と思います。でも別に完成されたすぐ商品になるようなもの、「リアルクローズ」を学生が作る必要は全くないんですが、いずれ自分の作品が商品になっていくことがイメージできるような「さなぎ」のような途中経過にあたるものを、試行錯誤しながら作っていくことが大事だと思います。
–ご自身のキャリアを振り返って、現代のファッションに興味がある若者に対して、ファッションとより楽しんで関わっていくためのアドバイスはありますか?
日本の身の回りのものだけじゃなくて、いろんなものを見るべきだと思います。
日本の「アパレル」と、世界全体で起こっている「ファッション」は全然別物だと思っているので。
例えば巷にあふれている、広告費をかけて宣伝されているようなものがファッションかっていうと、それは間違っちゃいけないと思います。
あれは、企業が売るために色々やっている事だと思うので。
たくさんの情報の中からこれがファッションだと思う事を、ちゃんと理解して選び取れるように嗅覚を養うというか、色んなものを見て判断できるようになれると良いんじゃないかと。
僕なんかも、常に自分に言い聞かせています。
四年制大学と専門学校、日本と海外の両方を経験されている大野さんの感性や考え方にはとても説得力と客観性がありました。
近年、ファッションに興味のある若者も、また海外に興味のある若者も増えてきている中、これら二つの興味を掛け合わせて、行き着く先が大野さんのビジョンの中にあるように感じました。
大野さんの服作りの根底にあるラグジュアリーに対する考え方や、世界規模でのファッションの捉え方など、しっかりしたビジョンと、ものづくりへの気持ちがこれ以上ないほど伝わってくるインタビューでした。
お忙しい中ありがとうございました。
篠崎莉奈
1994年生まれ。東京外国語大学言語文化学部所属。
慶應ファッションクリエイター代表・デザイナーを担当。